5. 僕が死のうと思ったのは - amazarashi
社会人の自分が捉える音楽はどこまで作家に近づくことが出来ているのだろうか。
様々な経験を積むたび、歌詞の意味や、その表現の鋭さに圧巻される作品がある。
五回目の今回は、amazrashiの「僕が死のうと思ったのは」の意味に迫る。
晴れた日、僕は港で海猫が鳴く声を聞いた
あの鳥なら僕の過去すべてを運び去ってくれると思ったんだ
春、誕生日に杏の花が咲いた
穏やかな木漏れ日の中、ただ自然に戻りたいと思った
目の前にある田舎の風景
僕はここに閉じ込められ、身動きできずにいる
やがて心から希望は消え、ただ空虚な存在になってしまった
僕はその心で都会にやって来た
人の視線、人間の関係
見知らぬ少年を過去の自分に重ねた
その無垢な純粋さにただ胸が傷む
パソコンの前、暗い部屋で一人孤独と戦っている
時が経ち、やがて僕は一人の人の温もりに触れた
その人に会えて、あんなに空虚だった世界を少し好きになったこと
失ったはずの希望がまだあったこと
それをいま歌っているんだ
イメージで加えた箇所があるため、個人的な解釈だと思って欲しい。
この曲は最後の「あなたに出会った」シーンにこれまでの展開を覆すドラマがあり心を揺さぶられるのだが、それだけではないと私は思う。
私は最初の海猫と杏のくだりが好きである。
そこに彼の求めるものの本質と願いがあると感じる、きっと出会った「あなた」は
彼を癒す穏やかさと自由を持っていたのだろうと推測する。
追伸
海猫がいる港の風景や、杏の花が咲く庭が浮かび上がってくるこの表現力。
やっぱりamazarashiすげえ。そして僕が一番好きなAメロの世界を作っている重要な要素はピアノアレンジなのだ。
4. 地球最後の告白を 【GUMI】- KEMU VOXX
社会人の自分が捉える音楽はどこまで作家に近づくことが出来ているのだろうか。
様々な経験を積むたび、歌詞の意味や、その表現の鋭さに圧巻される作品がある。
四回目に当たる今回はボーカロイド「GUMI」が歌う「地球最後の告白を」に迫る。
最初に、私にとってボーカロイドの音は決して心地よいものではなかった。
しかし、その作品に込められた世界観の純粋さに気づいてから、徐々に引き込まれる作品が現れ始めた。「地球最後の告白を」もその中の一つである。
地球最後の告白を
神様から不老不死を授かった少年の彼
彼の時間は止まったまま
周りだけ歳を重ねてゆく
好きだった彼女も、やがて老い
別れを告げる日が来た
何も伝えられないまま
戻れない憧憬(憧れ)を振り返る
彼は何度も彼女を好きになり
そして何度も別れを告げ
最後に一人なる
いつか見た、夕焼け
それは彼の恋と重なりとても綺麗だった
何度も失った彼の中で、
その美しさはもう汚れてしまった
長い時間が流れ、世界が灰になった
彼は永遠に独りになり
永遠に会うことのない彼女に
初めて告白したのだった
キャッチーなサウンドとは裏腹にこの作品には深い喪失感が漂っている。
「戻れない憧憬」「いたずらの意味を知った」などの歌詞からそれらが読み取れる。
前回の和楽器バンドの「守りたい人」の歌詞にも「伝えなきゃいけない事」が登場した。
思いを告げること、それは全てが過ぎ去ってゆく瞬間の中、全く万能ではない我々が存在を肯定できる数少ない手段なのかもしれない。
そして一つ確かなことは、不老不死であろうがなかろうが、行動しなければ、やがて全ては手遅れになってしまうということである。
3. 守りたい人 - 和楽器バンド
社会人の自分が捉える音楽はどこまで作家に近づくことが出来ているのだろうか。
様々な経験を積むたび、歌詞の意味や、その表現の鋭さに圧巻される作品がある。
三回目の今回は和楽器バンドのファンクラブ八重流限定楽曲の「守りたい人」に迫る。
ライブのエンドロールで偶然耳にしてすっかり聴き惚れてしまった曲だ。
絶望、孤独の苦しみの中
誰も信じられなくなった世界
その中で、何度も書き直したメッセージがあった
君に伝えなければと言う、ただその一心で
僕は自分の臆病さを悔やみながら、まだ夢を捨てられずにいる
あと少しの勇気を求めながら
君が背負った物の重さを知り
僕は何度も戻りやり直した、自分と向き合うことを
そしてやっと明日が見えるところまでやって来た
ここならまだ、生きて行く価値がある
そう思える
自分の存在価値、それに向き合う苦しみを共にする仲間に向けた曲だと思った。
和楽器バンドと称しても、リスナーからするとひとつの音楽である。楽器や演奏方法は表現の手段に過ぎない。
つまり、この曲にあるようにファンや仲間と向き合う姿勢が和楽器バンドの本質的な魅力なんだと思う。それは和とロックの精神の融和なのかもしれない。
2. 命にふさわしい - amazarashi
社会人の自分が捉える音楽はどこまで作家に近づくことが出来ているのだろうか。
様々な経験を積むたび、歌詞の意味や、その表現の鋭さに圧巻される作品がある。
二回目の今回は、amazrashiの「命にふさわしい」に迫る。
命にふさわしい
それを感じた瞬間が何度かあった
好きな人の、その温みを感じたとき
友達と語り、酩酊のまま夜明けを迎えたとき
それらは、他人とありのまま裸の自分が接点を持った瞬間を表している
世界を滅ぼすほどの温もり
世界を欺くほどの友情、馴れ合い
それを経験し、失い、傷つけ合うことに慣れていった
心さえなければと訴えながら
二人にはなれなかった、それぞれが持つ孤独
それぞれ失ったものの価値を背負い
その全てが報われる日を願っている
次の命にふさわしい価値
それは自分が見放してしまった自分、壊してしまった自分
その破片の上を裸足で渡るようなことだと訴える
死んでもいいと思える覚悟で、その一歩を踏み出すことだと
生きることに真面目過ぎるから
命にふさわしい一歩を探し続けている
1. ワンルーム叙事詩 - amazarashi
社会人の自分が捉える音楽はどこまで作家に近づくことが出来ているのだろうか。
様々な経験を積むたび、歌詞の意味や、その表現の鋭さに圧巻される作品がある。自分にとってamazarashiの秋田ひろむ氏、故尾崎豊がそのような作品を生み出すアーティストである。これは自分の感性で作品の世界に迫る試みである。
今日は、amazarashiのワンルーム叙事詩。秋田ひろむさんの世界観だ。
詩の中に存在する僕らは
笑う心を失い、世界の全てが嫌になった
そして自分の部屋に火をつける
広がる炎、燃やしているのは彼の人生と過去
駆けつけた人に羽交い締めにされながらも
彼は炎を消すなと抵抗する
それは僕の魂だと
そして彼は彼自身の魂が燃やした焼け野原に立ち尽くす
彼は作品の中で、ひとり自分の人生と闘っている、
負けないよう、自分の魂で全てを消し去ろうとした
人生に負けるとは、つまり彼自身の死、または彼ではなくなることだ。
自分と世界の関係の中で自分とは何なのか、それを考えなければいけないタイミングが誰にでもあるはずだ。
その時に何を選択するか、それは人それぞれだが一人自身の価値観に向き合わなければならない。
悩みの末、自分が前に進むのであればそこには一人の自分の価値観だけが存在する。
そこには思考の燃えかすと研ぎ澄まされた自分が居るはずだ。
ちなみに詩の中の彼の家賃は6万だがうちは4.5万だ。